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  • 小池 光子

書く


ノートには、折々に言葉を書き留める。

書けるうちは、放出できるうちは、”まだ大丈夫”だ。


書いていくことは凝り固まった考えを少しほどき、それによって自分を知る。

この時点では誰に読ませるものでもなし、それにお金もかからない😙


あてもなく書き綴っていくと時々、
自分を照らす希望みたいなものがコロンと出てくる。


悲しみや孤独を、光へと結ぶのが好きだ。


それらを曲にしていくときに、

なんだか苦しみや悲しみが、じわっととろけて変容していくようで、ほっとする。

それを歌うと、さらにそれらは気化するみたいに、わたしの手を離れ、

今度は喜びへと吸い込まれていくような感じになる。

(これは、誰の曲を歌うときでもよく起こることなのだが、

歌う者の独特な感覚なのだろうか。)


ともあれ。


材料がどれだけ甘かろうが、にがかろうがしょっぱかろうが、

出来上がるものはあくまで”音楽”。

それ以上でも以下でもない、そこがいいなぁと思う。


何も感じないひとがいるかと思えば、

誰かの背中をさする場合だってある。

それもまた、いいよね。


きょうはデルフィニウムを飾った。

ギリシャ語の”delphi”、イルカが由来だって。
つぼみがイルカに似ているからだって。

あざやかに開いた花でなく、つぼみを見て名付けたってとこがいいな。



光子 




As long as I can write, I’m still fine.


Writing heals me.
And nobody reads it until I anounce them, and it doesn’t need any money😜


Sometimes, beyond my frame, words of hope come out and illuminate me.


I like to connect sadness and loneliness to the light.


When I turned them into a song,

I feel relieved because the pain and sadness gradually melt away.

When I sing it, they leave my hand, and vaporize.

Rather, it feels like being wrapped in joy.

This feeling also often happens to me when I sing someone else's song,

Is it a particullar feeling of the singers?


...Anyway.

No matter how bitter or salty the ingredients are,

All the results are "music".

No more, no less.

I think it's nice.

Sometimes it touches someone's back gently.



Today I decorated Delphinium.

Greek “delphi”. It came from dolphins. 

The buds look like dolphins, they say.



Mitsuko